穂高岳登山(8) 「今田重太郎氏」
それにしても、よくもまあこの断崖絶壁のような岩稜地帯に登山ルートを付けたもんである。
このルートを「重太郎新道」と呼んでいる。
今は穂高岳山荘の主人・今田重太郎氏がこのルート直下でカモシカを見つけ、追っているうちに見逃してしまった。
だが、途中でカモシカの糞を発見、この糞を探しながら登っているうちに、“もしかしたらこの場所は人間が通れるかもしれない”と気がついたという。
何とか整備すれば山道として、もっと楽に登り、降りが可能かもしれないと思いつき、
これを実行に移して出来上がったのがこの登山ルート・“重太郎新道”であったという。
在りし日の「今田重太郎氏」(穂高岳山荘提供):dh18
「今田重太郎」氏は穂高に生涯をささげ、「穂高の名ガイド」と呼ばれた男であり、標高2,996mの奥穂高岳山頂直下に建つ「穂高岳山荘」の礎を築いた人物である。
その生涯を通して登山客の命を守り、登山客が安全に体を休めて英気を養える快適な山小屋造り、 登山に慣れない女性・子供でも安全に通れる登山道造りを目指した。
そして、穂高周辺に新に登山ルートを開拓し、そこで出来上がったのが穂高の中枢に建つ山小屋・「穂高岳山荘」であった。
今田英雄氏(今田重太郎氏の甥で穂高岳山荘2代目当主、紀美子氏の実兄)は重太郎氏のことを、「人の倍力があって、人の3倍仕事をする。何かやろうとしたら、ものすごい情熱を持ってやりとげる人でした」と語っている。
二本脚と4本脚を交互に繰り返しているうちにクサリ場に到った。
一枚岩の上にダランとしたクサリで、頼りなげである。
鎖を突っ張りながら一枚岩の上を滑らないように慎重に這いずる。
多少、疲れが出ているのだろう、なかなか軽々とはいかないようで、おまけに岩は夜露に濡れている。
気が付けば、辺りはすっかり閉ざされていて、黒い霧の中をさまようようになっていた。
先刻まで見えてい岳沢ヒュッテや上高地は既に闇の中に消えていた。
それどころか今は全く視界0の状態になっている。
尤も、先刻まで山麓から山頂部を眺めると黒雲が覆っていたのが、今は高度を上げていて、いつしか雲塊、濃い霧の中に突入したのかもしれない。
急峻な岩場の登りルート:dh20
垂直に近い岩場に取付けられた鎖とハシゴ:dh19
鎖場を過ぎると、今度は梯子(はしご)である。
岩の壁を二つのはしごが繋いでいる。
鉄製の梯子はかなり頑丈に取り付けてあり、この悪険路での工作を施した今田重太郎氏、或るいはその仲間たちの労苦が偲ばれるし、心から感謝する次第である。
次回、「重太郎新道・カモシカ・・、」
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